11/06/04 政争を嘆くよりも自分たちの代表をきちんと送り出せているのかを考える

数日間の悶々とした気持ちを吐き出させていただく。
民主党の菅総理と自民党の谷垣総裁の党首討論のレベルの低さを嘆く声をよく聞くが、それはちょっと違うのではないか。結局、そういうリーダーしか生み出せていない国民全体のレベルの低さを反映しているだけだから、「天に唾するものは・・・・・・」ということだ。
日本では戦後に労働組合がある程度力をもったが、いまや多くは堕落して組織率は2割くらい。労働する者の声を反映する政党も育たなかった。政権交代がしやすい政治にするのがよいから小選挙区にして二大政党制を育てるというのも幻想だった。どちらが政権をとっても官僚主導のまま。既成政党を批判するだけでなく、自分たちの社会をどうしたいということをもっと主体的に考えて一緒に動く組織やネットワークをつくって、そこから地方や国に代表を送ろうという人がどれだけいるかということだと思う。
だからと言って、大阪の橋本たちの「維新」というのも危険。ネオナショナリズムのにおいがする。パフォーマンスにたけた人物がマスコミで顔を売ると、言っている内容についてはよく考えず、支持してしまっているのだと思う。小泉の郵政選挙で大量に投票した人たちは、そのことで自分たちがどれだけ追い込まれたのかをわかっているのだろうか?
実家で母親が千葉の橋本がいいというので、よく聞いたら大阪の橋本で、小泉がいいと言っていた時代と全く進歩していないことにあきれた。
戦争の時も国民は騙されたのだから責任がないという話がある。もちろん騙す方が悪いに決まっている。しかしながら「だまされる側」にも責任があると私は思う。反戦運動の力は弱く、権力と一緒になって非国民よばわりした国民が大勢いたのだ。「だまされた責任」を考えて戦後を生き、新しい社会をつくる努力をした人はどのくらいいたのだろう。その結果が今の社会・・・・・・。
今回の原発の問題も同じことだ。安全だから大丈夫と騙す方が悪いのだが、補助金が出て受け入れさせられていた地方のことで他人事にしてしまい、短期間に54基まで増えていたことに気もつかなかった国民が大多数だったことだろう。
戦争でひどいことをし、ひどい目にあったことを深く考えたドイツでは、今回の原発事故でエネルギー政策を大きく転換させる政権があった。小選挙区なのに緑の党が二大政党の隙間をぬって進出できる=支持者がそれだけいる国民性だからだ。
選挙の投票にいかなかった人に、政治家を批判する資格はないと思う。きちんと投票すればその選択が間違いだったと思った時に、次にはちゃんと選択しようという意識につながる。その積み上げが大事。選挙にいかなければ、他人が選んだ代表者であり、その悪政には責任がないと思うのだろう。しかしながら、投票にいかなかった人たちは責任をとる意思がないということだと私は考えている。
「人に迷惑をかけない人間になろう」と子どもを育てるよりも、「何かで人や社会のお役に立てる人間になろう」と育てる方がよいと何かで読んだ。そうしてこそ強者も弱者もそれぞれが持っているものを寄せ合い、支えあって生きていける社会をつくることができるという。弱肉強食ではなく、強い者が弱い者に手を差し伸べ、そのことができることに強者は喜びを感じるような社会をめざすべきだろう。
しかしながら、今の日本は強者が弱者に冷たい社会になっている。効率優先の社会で「みんなと同じようにできることがよいこと」とされ、集団で人と同じにできないと足をひっぱっていると白い目で見たりされる。弱者が控えめでいればある程度守られるが、権利として主張すると叩く。そういうおかしなところがあって生きにくい社会になっている。
実家の母は社会の落伍者に冷たい。近所迷惑なことを長年してきた独り者の男性が末期がんで入院し、町内会の班でお見舞いに行こうと誘われたが「嫌な思いをさせられたので関わりたくない」と断ったという。さらにもう一人の酒乱で近所迷惑をかけることで有名な独り者の男性も末期がんとかならいいのにと言い出してついに私は堪忍袋の緒を切った。
その人たちがどうしてそんな人間になってしまったのかを考えたことがあるのかと問い詰めた。後者の方は思春期にお姉さんを電車の飛び込み自殺で亡くし、その頃からシンナーを始めたのだとのこと。お父さんはお姉さんの自殺を防ごうといくつかの駅の職員に見かけたら注意して欲しいと頼んでいたらしい。それなのに隣の駅で飛び込んでしまった。そんな不幸な家族に近所の人は誰も手を差し伸べなかったのだ。それで壊れてしまった人に迷惑をかけられても近所の人は自業自得だとたしなめておいた。
途中でこんな話はしたくないと母は抵抗したが、今日は許さなかった。母は苦労の末にここまでやってきたのだという変な自信をもっている。他人の前ではいい子にしているが、家族には本音で話をするのだが、人の悪口が多い。それを言い連ねることで自分はいかにちゃんとした人間で存在意義があるのだということを誇示する。傲慢そのものではないか。これも人格形成の歪みだろう。それでも私は見放さないが妹二人は疲れている・・・・・・。
私の職場にもパワハラマネージャーがいて、気に入らない部下にはどなり、あまりにも悪口をいいふらすのでみんなに嫌われている。必死に上からの課題をこなしているが、ストレスでアレルギーを起こして「死にそう」と愚痴を言い、面接やら何やらで公然と批判している私に「死ねばいいと思ってるでしょ」と自虐ネタをふってくる。「私はそうは思わない人間ですよ」と答えておいたが、「死刑廃止論者ですから」と付け加えておくべきだったと後から思った。
「迷惑をかけて憎い人間は死ねばいい」と思うのは上等な人間か?と母に問うた。「上等じゃないよ」。上等な人間が多くないから上等じゃない国になっていて、今みたいにつらいんだからね。自分は上等な人間じゃないと謙虚になって、少しでも上等になろうとしてみたらとグサッと釘を刺しておいた。
国のリーダーのレベルの低さを嘆くよりも、まともな社会のリーダーを選ぶ、もしくは生み出そうという取り組みこそ必要ではないだろうか。その方策はみんなで知恵を絞りましょうとしか言えないのが歯がゆいのだが!
小選挙区比例代表制もやめて、以前のような中選挙区制にして定数も削減すべきだ。そうしないと毎回の選挙で投票する選択肢が少なすぎるし、多様な意見の代表者も選ばれて議会で多様なグループが調整しながら政権を構成するようになってほしい。
そういうことを考えながら、生きている間は少しずつ前にすすんでいけるといいと思っている。
冒頭の写真は、夜中のベランダで洗濯物を干そうと出ようとしたところで壁にいたヤモリ。娘も大好きなのでネットゲームから引き離して見せたところ、つかまえたいと言い出した。却下して携帯で撮影合戦。娘の方がうまくとれたので転送してもらった。カ、カワイイ!!
これで、気分を転換しよう!